はじめまして。
「発達障害があっても楽しい子育てができるカウンセリング」の
心理カウンセラーの高嶋くるみです。
私は発達障害を持つ娘の子育てをして地獄のような日々を送ってきました。
誰も助けてくれない、誰も分かってくれない、夫でさえも分かってくれない…
娘と一緒に死んでしまおう!そう思ったことも一度や二度ではありません。
でも死ぬ勇気もありませんでした。しかし!それで良かったと今は心から言えます!
あんなに辛く死んでしまいたいと思った人生が
今は高校生となった娘と、とても楽しく笑い声の絶えない日々を過ごしています。
今、子育てで辛い思いをしている方
誰にも頼れずにどうしていいか分からない方
死にたい!と思い詰めている方
大丈夫です!!解決方法は必ず見つかります!!
《絶望思考を好転させる》ワークで
発達障害があっても楽しい子育て、
「私も周りも幸せ」と思える未来をつくりませんか。
☆プロフィール☆
祖母に叩かれて育った子ども時代
青森県生まれ。父の実家に、両親と私、祖父母、父の姉夫婦とその子ども達と総勢10人で暮らしていました。
大家族だが温かいというわけではなく、母は召使いのような扱いで私もお手伝いを強いられていました。
家は祖母が実権を握り祖母の言う事は絶対で、他の子ども(従妹)たちは遊んでいるのでどうして私だけお手伝い?と思いましたが逆らえずに動く日々。
自分の娘が産んだ孫と嫁が産んだ孫とでは実の娘が産んだ孫の方が可愛かったのでしょう。
特に男の子は可愛くて仕方がなかったのだと思います。
嫁の子どもは嫁同様、こき使ってやれと思っていたのかもしれません…。
私は不器用で失敗が多く毎日怒られ祖母には失敗を言い訳に叩かれるようになっていきました。
叩かれるのが嫌でだんだんと祖母や大人の顔色を伺うようになっていきました。
裏表のある女生徒の嫌がらせで人間不信になる
だんだんと自分の気持ちを言えない大人しい子になっていった私。
小学生、中学生の頃は人との接し方が分からず友達といえるほどではありませんでしたが
少しは話を出来るくらいの人はいて一緒にいました。
中学の時に大人しくネクラな私をからかい半分で話しかけてくる男子生徒がいましたが
その男子を好きな女子からノートを奪われ焼却炉で焼かれる、ある事ない事噂をばらまかれる、
私を庇う子にも別の生徒を使って暴力を振われたりとしました。
表向きはその女生徒は優しく友達のように私に接していたので、陰で仲間と悪質な嫌がらせをしてるなんて
誰もそんな事に気付く人はいませんでした。
やっと勇気を振り絞り友達にその事を打ち明けたら、逆に私がその女生徒にひどいことをしていると噂が立ち、私が非難される立場になりました。
友達はその女生徒からの嫌がらせを恐れ寝返ったのだと思います。
友達の気持ちはわかるけど、私はもう毎日が針の筵でした。
どうしてこんな目に合うのだろう、なぜ嘘がまかり通るの?!私は独りぼっちなんだ…
悲しくて辛くて、誰も信じられずに人間不信になっていきました。
慣れない仕事へのプレッシャーで体調を崩し、自分のミスを人のせいにする上司に理不尽を感じた社会人時代
中学では辛い思いをしたけど高校では少ないけど友達も出来て楽しく過ごすことが出来ました。
人付き合いは相変わらず苦手だけど気の合う友達との付き合いなので何とかやっていました。
でも高校を卒業し信用金庫に就職してからは人とのコミュニケーションにとても苦労しました。
更に難しい仕事になんで金融機関に就職しちゃったんだろう…と今更ながらに考える。
仕事の覚えも悪く、何をするにも時間がかかる私だったので先輩からの風当たりも強かったです。
信用金庫という仕事柄ミスは許されない!という中で日々緊張してストレスを溜め、
体調を崩して行きました。
仕事は休めないので市販の薬を多用していましたがそれも効かなくなり体調は最悪になっていました。
それでも仕事は休めない!這うようにして出勤していましたが、めまいや吐き気がずっと続き
治療しても治らず通勤も出来なくなり、もう無理なんだなと感じてやっと退職を決意しました。
その後、派遣会社に登録をし派遣社員として働くようになりました。
派遣されたところはファイナンス系の会社でした。
人と話さずに黙々と入力していればいい仕事は私に居心地のよいものでした。
ある時上司に呼ばれ仕事のミスを指摘されました。確かに私のミスだったので言い訳せずに謝罪しました。
でもその上司はしつこく「どうしてこんなミスをするんだ!」と言い続けました。
私はそのミスになった原因は分かっていましたが、それを言ったところで言い訳になるし黙っていました。
その態度が、こいつは怒られても反論してこないやつだ!と思われたようで
何かあるごとに小言を言うようになり、挙句の果ては私のミスではないことまで怒るようになりました。
社員から教えてもらったマニュアルも人によって全然違うもので
教えてもらった通りにやっても他の誰かに違うと言われる日々…もうどうしたらいいの…と思う毎日。
毎日酷いことを言われ心も擦り切れていましたが、
期間が終われば辞められる!それだけを思い頑張っていました。
それでも社員のミスを派遣社員のせいにして八つ当たりのように怒られるのは理不尽だと思いました。
大勢の前で叱責される、罵倒される、それも自分のミスではないのに…
周りのみんなは社員のミスだと分かっていても反論出来る人はいません。
なぜ私がこんな目に合わなくてはいけないのか、毎日悲しく家で泣くことが多かったでした。
派遣元に辞めたい旨を相談しても期間中は辞められないの一点張りで辞められず…。
あんなに毎日怒られ延長なんかしてやらないぞ!と言われていたのになぜか延長の話が来ました。
どういうつもり?もうこんな会社では働きたくはない!と丁重にお断りをしました(笑)
可愛い女の子が誕生♪
そんな私も結婚をし出産をしました。
あまり良い記憶のない子ども時代の私なので子育て出来るのかなと一瞬思ったりもしましたが
妊娠した嬉しさにそんなことも忘れて産まれてくるのをとてもとても楽しみにしていました。
産まれたときは小さくて色白のとっても可愛い女の子で夫と二人大喜びでした。
どうしてなの?! 豹変する娘…天使か、それとも悪魔か
病院のそばではマンション建設の工事があり大きな音がしているのにすやすや寝ている娘を見て
こんな音の中でも眠れるんだ~産まれたばかりの赤ちゃんはあまり手がかからないのかも~
なんて甘く考えていました。
退院して家に戻ってからは別人か?と思うくらい、ほんのちょっとの物音にも反応し泣き出す…。
病院ではいつもベッドで寝ていたのに今は抱っこしていないと寝ないし泣き止まない…。
しかも泣くときはいつも爆泣き…。泣き疲れたら泣き止むからと言われたけど疲れ知らずなのか
ほっておくと3時間は平気で泣き続ける。それも爆泣きだ…。こっちが泣きたいよ…。
泣き止まないのでずっと抱っこしぱなし…。寝たかと思いベッドに置くと目をパチッと開けまた爆泣き…。
また抱っこするの繰り返し。一日抱っこばかりで何も出来ない。
寝てるときは天使のようだが起きているときずっと抱っこしているか爆泣きかのどちらか。
この子は悪魔なのか…と本気で思いました。他の子どももみんなこんな風なのかな。
何かがおかしい?心の中に得体の知れない不安が広がっていく
初めての子どもなのでこれが普通なのかどうかわからない。
子どものいる友達に聞いてみても「そんなものよ、時期に慣れるから頑張って♪」と言われる。
少しずつ成長していってもなにか訳の分からない違和感を感じる。
ちっとも楽にならない。それどころか大変になっていっているような気がする…
なにかおかしい?なにかが違う気がする…心の中に得体の知れない不安が広がっていく。
いたずらが半端ない。こちらがダメと言っても理解している様子はまったくない。
こちらが何か言っても目を合わせようとしない…。わざとなのか?いや理解出来ていないのか?
人間の言葉を理解できない動物を調教している気分になってくる…。
はっ!私はなんて事を言うのだろう…。
自分が子育てを上手く出来ないからと言って動物のようだなんて…涙が溢れてきた…。
どうして話を聞いてくれないの?私にも子どもにも無関心な夫に諦めを感じる
一日子どもと過ごす中で夫と話す時間だけが自分を取り戻せる時だと感じていた。
しかし、私の話を聞こうとしなくなっていく…。毎日毎日子育ての愚痴は聞いてられない、
自分も疲れている、そう言いたかったんだろうと思う。
毎日遅い時間に帰ってくるので実質子育ては出来ない、せめて私の話くらい聞いてくれてもいいのに…
疲れてるっていうけど私だって24時間休みなくこの子の相手して疲れてるよ…そう言いたい。
でも子どもと私のために働いてくれてる夫なのだからと言葉を飲み込んでいた。
私達の両親は遠方におり助けてもらえないから子育ては二人で頑張ろうねと話し合っていたのに…
夫だけは私の味方だと思っていたのに違うんだ…
夫は子育てする気も私を助けてくれる気もないんだ…
この子は二人の子なのに私一人で育てていかないといけないんだ…
やっぱり私は独りぼっちなのかな…誰にも頼れないんだ…
そんな風に思い込み、自分一人でなんとかしなくてはと思い詰めるようになっていきました。
話さない、暴れる娘
娘はなかなか言葉を話さなかった。自分の気持ちを伝えられないせいなのかよく暴れていた。
魔の二歳児のころは特にひどかった。ある日、本棚の本を私に投げつけてきた。
一緒にお昼寝をして先に起きた娘が私を起こそうとした行動…死ぬかと思った…。
またある時は何かにイライラしていたようで保育園で使うような幼児用の椅子を投げつけてきた。
この子に殺される!何を考えているかわからない娘、話さない娘、すぐモノを投げつける娘、
もう恐怖しかなかった。
もう無理!!誰か助けて!
もう育てられない…私には無理だ…誰か助けて…
育てられないならいっそのこと、娘と一緒に死んでしまおうか…。寝ている娘の首に手をかける。
このまま力を込めたらきっと死んじゃう…。死んだら私も後から死のう…。そう思った。
でもなぜか涙が溢れてきて力は入らなかった。なんの涙だったのだろう。
殺人への恐怖?悲しみ?罪悪感?生きることへのわずかな希望?
結局私達二人は死ねなかった。でも生きることに希望を見出せなくて絶望していた…。
保育園の先生に相談してみたが…
今の子育てを何とかしたい、少しでも良くしたいと思い、保育園の先生に相談するも
「園ではそんなことは一度もありませんよ、おかしいですね、気にしすぎじゃないですか」と言われしまう。
そうなのか、園ではそんな事はないのか?私の接し方が悪いのか…。
私がダメなのか…。そう落ち込んでいく。
そんなある日、園にお迎えにいき帰るときに娘がぐずり泣き始めた。
私はまたか…今度は何が気に入らないんだろう…1時間くらいで済めばいいなと思いながら見てた。
私の読み通り、娘は1時間延々と泣き続けた。でも1時間なら早い方だ、良かったと思う私。
逆に先生方はこんな娘を初めて見たと言ってものすごく動揺していた。
発達センターの受診を勧められる
先生方がいろいろと手を尽くしても1時間も泣き止まない!これは異常だ!と…。
異常って…私がいくら言っても気にしすぎって言って取り合ってくれなかったのに…
たった1時間泣いてただけで異常者扱いなのか…。ひどい…。
結局これがキッカケとなり保育園側から発達センターへ行くよう勧められる。
先生の発達障害かもねとの言葉が聞こえてきた。発達障害?初めて聞く言葉だった。
娘には障害があるのか? 障害者なのか? いろんな思いが一機に駆け巡る。
話を聞かれたと焦った先生が慌てて「センターで子育ての良いアドバイスとかもらえるから」と
取り繕うように言う。
今更遅いよ…私の不安はどんどん膨らんでいった。
やっと分かってくれる人との出会い
発達センターへ行き、産まれてから今までの生育をこと細かく聞かれた。
淡々と話す私の話を一言も聞きもらすまいとの姿勢で聞いてくれる。
こんな風に話を聞いてもらえるなんていつぶりだろう…話してとてもスッキリ(笑)
話をずっと聞いていたセンターの方が
「今まで一人でよく頑張ってきましたね。大変だったでしょ。」
と言ってくれた言葉に涙が止まらなかった。
そうなんだ、私やっぱり大変だったんだ…。みんな子育てなんてそんなものよって言ってたから…
やっぱり大変だったんだな…大袈裟じゃなかったんだ…
でも頑張ってきたんだ!よくやってきたね、私!!
もう涙が止まらなくてずっと泣いてました。
発達障害の検査を受ける
センターの方の話によると、発達障害かどうかの診断は医師だけが出来ること、
こういう症状だから障害と決めつけることは出来ない、小さいうちはみんなこういう症状はもっている。
検査を受けてもいいが、受けずに様子を見てもいい、お母さまが決めてくださいとのことでした。
私はもう発達障害と確信を持っていたので検査をすることにしました。
私が子育てが大変!辛い!と言った時に「大袈裟な…」と言った母に本当に大変だったんだ!と
教えたいという気持ちもちょっぴりあったと思います。
検査結果は?そしてその後
医師の検査を受け広汎性発達障害の範疇と診断される。
いわゆるグレー診断。あんなに問題行動がたくさんあるのにグレーなのか。
もう黒でいいじゃないかと思う私。
小さい頃はみんな発達障害の傾向は持っているし成長と共に症状、傾向がなくなる子もいるからと言う。
この娘が変わるなんてありえないなと思う私。(変わって欲しいとすごくすごく望んでいるのに諦めてた)
それでも希望すれば療育を受けることが出来るがどうするかと聞かれ迷わず受けたい!と即答した。
実は結果が出るまでにいろいろと調べて療育を受けることの重要さを知っていたからだ。
そうして月1回の指導が始まった。
奇跡?!劇的変化!
療育を受け娘は落ち着いてきた。やっぱり専門家の指導はすごいのだと思った。
嫌なことは絶対しない!人の話も聞こうとしない、気に入らないとすぐに暴れる娘が
落ち着いて椅子に座り先生のお話を聞いてる!!
なによりとても楽し気にワークをしている。笑ってる!!!
いや、家でも笑うんだけど穏やかな笑顔でビックリですよ。家では悪魔の笑いだから(笑)
1回目の療育でこんな感じで先生も驚いていました。嫌がる子が多いらしい…。
療育が合ってたというのもあるのかもだけど、
きっと先生がとても優しくてなにより娘を分かろうとしてくれているのが
すごく良く伝わってきてました。娘もそれを感じ取っていたのかなと思いました。
人間らしくなっていく娘
なにもかも野性的、動物的だった娘はだんだん人間らしくなっていきました(笑)
動物なんて酷い!と思われますが、本当に娘の行動は野生動物そのものだったんです…。
療育を受けるのも、まるで習い事でもするかのように楽し気でセンターに通うのを心待ちにしていました。
「今度はいつ行けるの?」そう聞いてきます。
こんなにやる気になっているなら月1回をもう少し増やせないかとも思いましたが、
逆に変化がすごいということで2カ月に1回と減ってしまいました…。がっくし…。
増やせなくても減らすことはないんじゃない?と思ったけど、療育を受けることが目的ではなく
娘が落ち着いた行動をとれるようになるのが目標だったので、これで良かったんだと思います。
心が軽くなっていく私
娘の療育が終わった後に先生と話す時間が毎回ありました。
家での娘の様子はどんなですか?とか何か変わったこととかありますか?
気になることはありますか?など、あとは軽く世間話をしたり…。
15分と短い時間でしたが、普段ママ友と話すことも出来なかったので
(娘がじっとしてないので落ち着いて話せたことがなかった)
先生との話は人間らしいというか、憩いのひと時のように感じました。
(私も人間じゃなかったのかい! 笑)
今にして思えばこの時間は私のカウンセリングだったのではないかと思いました。
世界が変わり始める
娘が変わり始め、私も少しだけ余裕が出来てきて気持ちに変化が出てきました。
世界って優しいのかも…そんな風に思えてきました。死にたいと思っていた私がですよ…。
もっともっと娘は変わっていくし、私ももっと楽しく生きれるかもなんて思い始めました。
元気になった私は自分と娘のこれからの日々をもっと良くしたいとの思いで
子育て講座、アドラー心理学、潜在意識講座を学び、同時にカウンセリングも受け
自分を整えていきました。学びはとても楽しかったです。
同じように子育てで悩んでいるママといろんなことを話し共有する楽しさ。
カウンセリングは自分と向き合うので辛いときもありましたが、そこを超えたら一気に楽になります。
子育てはまだ大変ではあるけれど、自分だけが辛い、孤独だという思いはなくなり
助け合い、相談しあえる仲間もできて、毎日が楽しく明るくなっていきました。
幸せな未来へ進んでいく!
絶望しかなく死ぬしかない!と思っていたけど、人生ってキッカケ1つで変わるんだと実感しました。
私にとってそのキッカケは娘の療育、自分自身の学び、カウンセリングでした。
そして今は趣味も充実させ楽しく過ごしています。
潜在意識を学んで知った自分の人生は自分で作れる!思い通りになる!ということを実感してきました。
今、自分の人生って素晴らしい!楽しい!と心から思える日々を過ごしています。
自分で望む未来を作っていけるのだから幸せな未来しかないですよね♪
もしあなたが今、昔の私のように辛い絶望のような子育てをしているならそれを捨てませんか。
光降り注ぐ明るい未来へと変えてみませんか。あなたの望む幸せな未来を作りませんか。
私だって人生が変わったのです。あなたが変わらないはずがありません。
1人で無理!だというなら私がいます! 私が全力でサポートさせていただきます!
いま子育てしていて辛くて仕方ない人
助けてほしいと思っている人
悩みを打ち明けられる人がいない人
誰にも頼れないと思っている人
怒ってばかりの子育てを変えたい人
自分は優しくないと思い込んでいる人(あなたは優しい人です!)
一緒に未来を変えませんか?
あなたをサポートするのが私の使命だと心から感じています!
あなたとお会いできるのを楽しみにしております。待っています。